初代カローラをふりかえる

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 10代目カローラを待ちながら、すべての始まり初代カローラを振り返る。
 僕には遠回りする悪い癖がある。まず、歴史から入る。次のカローラはどんなふうになるんだろうと想像するために、初代カローラに関する本などを読んでしまう。
 最近読んだ本は下記の通り。
カローラ物語―ベストセラーカー2000万台の軌跡
カローラ物語―ベストセラーカー2000万台の軌跡

日本における自動車の世紀―トヨタと日産を中心に
日本における自動車の世紀―トヨタと日産を中心に

名車たちの伝記 (国産車編)
名車たちの伝記 (国産車編)

 さらに続く長い文章は上記の3冊を読んだまとめである。


★国産高級大衆車カローラの誕生
●前史 低価格大衆車パブリカの苦戦
 トヨタが初めて作った大衆車パブリカ(1961年6月発売)は性能や信頼性が高く、実用性・経済性ともに優れていた。トヨタは専門の販売チャネルである「トヨタパブリカ店」を全国に22社設立。量産・量販ともに体制は万全といえた。
 また、このクルマの名は販売に先立つ名称公募キャンペーを実施したところ100万通を超える応募があったほど消費者の関心は高かった。
 しかし、ふたを開けてみると、パブリカの販売はふるわなかった。実用的にすぎ、消費者から面白みに欠けた車だと評価されたからである。トヨタは誤算をしていた。低価格こそ大衆車の魅力と想定して企画されたパブリカだったが、実際のユーザは多少値段が高くても豪華なムードをクルマに求めたのだ。パブリカには夢や楽しさの要素がなかった。
「パブリック」+「カー」の意からつけられたパブリカが本当の意味で大衆車として市場に受け入れられ、販売台数が飛躍的に伸びるためには、装備を充実した「デラックス」発売(1963年発売)を待たねばならなかった。
●競合 日産サニー1000が先行
 低価格路線ではない大衆車として最初に好評を博したのはニッサンのサニー(1966年4月発売 1000cc)であった。このクルマはニッサンにとってはじめての大衆車と呼べるものであり、ドイツ車であるオペル・カデットの影響を強く受けた企画だったとされる。
 発売に先立つ1966年正月に車名募集広告をうち、同年2月初旬の締め切りまでにサニーのスタイルをしだいに線画で現わしていくというティーザーキャンペーンが展開された。なお、名称募集キャンペーンの募集は850万通。パブリカの同様のキャンペーンには及ばなかったが、当初予想された以上の反響だった。
 発売されたサニーは、車体の軽量化等からくる走りの良さによって、圧倒的に優れた大衆車と評価され、当初から販売も好調だった。サニーによって日本は新しい大衆車の時代を迎えたと言えるほど、画期的なクルマであった。
●登場 花の冠の名を持つ高級大衆車カローラ1100
 パブリカの苦戦を教訓に、先行する競合車サニーを研究して世に出されたトヨタの高級大衆車がカローラである(1966年10月発表。同年11月発売)。カローラは「花の冠」の意。実はとても愛らしい名前なのだ。
カローラも先行するサニーと同じくティザー広告を行っているが、その広告はサニーを強く意識した挑発的とも思える内容であった。
 カローラのエンジン排気量は先行するサニーよりわずかながら大きくされた。これにより「プラス100ccの余裕」というあまりに有名なキャッチフレーズが作られ高級・高性能との印象を持たせることに成功した。
 実際、内外装は一見豪華に見えた。また、よりダイレクトな感覚でギアを操作できる4速のフロアシフトの採用(当時のサニーはコラムシフト。しかも3速だった)、滑らかなボディラインを作り上げるための曲面ガラス(4mm厚でカローラ専用に開発したもの)の使用など、大衆車初、国内初ずくめの車だったのも確かである。これら新規性があり、スポーティかつ豪華な作りが上昇志向の強かった当時の消費者に強く訴求し、カローラは空前の人気を集めた。
 しかし、大衆車とはいえ、当時の一般家庭の収入に比してクルマは高級品であり、生活を圧迫することなしに購入することは難しかった。そこでカローラの発売と同時にトヨタは自社による月賦販売を開始している。カローラ購入者の7割が利用するほど、月賦制度は効果的だった。借金嫌いの気風のある名古屋の会社が月賦に目をつけたところは興味深い。
 カローラの販売は当初、先行したパブリカで大衆車販売のノウハウがあるパブリカ店が行った。そして、パブリカ店がカローラを販売している間にトヨタはもう一つの販売チャンネルの整備も始める。1967年に発足するオート店(2004年に統合される前のネッツ店が旧オート店にあたる)である。オート店が立ち上がると同時にパブリカの販売はオート店に移され、パブリカ店はカローラ店という名前に変更された。
 そして、現在に至るまでカローラ店は歴代のカローラを販売し続けている。


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